【つれづれ】SPIRITを選ぶ

2011.01.28(Fri)

2011-01-28


この地上で暮らすことにおいては
いろいろな選択肢があるように感じられます。
一日をどう過ごすか、何を食べるか、誰と会うか、
就職、結婚、離婚・・・どこのお墓に入るか
ほんとうに細かい選択の連続のようです。

無意識に自動的に選んでいるものもあれば
意識的に、引き寄せたいものを選択することもあります。

奇跡のコースに書いてあることによれば
選択とは、二つのものから一つ選ぶこと。

自我として生きるか、
永遠であり愛でありすべてである神と同じ質を持つ
スピリット(spirit)として生きるか。

仮に「過去」というものがあるとします。
過去を振り返ったときに
このときは辛かった、あの人にこんなにひどい目に会わされた
というふうに信じているものや、
その時に十分に感情表現できずに溜め込んだものは
「自我」として生きる場合には、現在に対して
自分と人への攻撃の思いが
強い影響力を持つように感じられるのだと思います。

自分は いつまでも自我として生きたいのではなく
「いつかは」しっかりスピリットである方を選べるようになるだろう
というふうに思ってきました。
今は、まだその準備ができていない、
あったと信じている過去をないものとするには、ある程度の時間が要るし
今は、人を攻撃する思いを持ってしまうけれど
「いつかは」・・・と。

でも、「その『いつか』は、たった今でもアリだよね?」と気がつきました。
コースのテキストには、そのことはあちこちに書いてあります。

天国はいつもここにあるのに、
自我が作ったもので本当のものが見えなくなっているだけだから
今、天国を(スピリットであること)を選ぶだけだ、と。
(こういう表現は、テキストにあったかどうかわかりませんが
 意味としては、こういうことだと思います)

いっぱい書いてあるのにね
今までは、読んでも、響いてきていなかったのですねーーー

この「たった今 天国を選ぶ」という選択(決心)をするために
テキスト読んだりワークしたり実体験したりして
学習するようになっているわけなのでしょうが。



きのうは、
「もう腰痛に悩まされるのはイヤだ、もうたくさんだ!」
と、心底思いました。
年末からの腰痛は、筋肉疲労でもありますが
出てきたきっかけは
過去生からの何かの執着、という感じも持っていたのです。

コースの理屈で言えば、過去生も自我が作った夢で
それなら、もし過去生にまつわる想念がなかったら
この痛み、なくなるかもしれない、と思いました。

その想念は、煎じ詰めれば
人への恨みつらみと、自分を責める思い、です。

「もう、罪のある者として、自分と人を攻撃するのはイヤだ!」
 とも思いました。
「中途半端は、ヤメヤメ。
 もう、スピリットである真の自分を選ぶ!ほんとうのものを見る」

『お寺の巨大なタンスを壊す夢』 では
タンスと経文・・・古くから積み重ねられた
霊的な教えや学びの体験、を消しました。

今回肉体を離れる時に
もし、やっていなくて後悔する事があるとすれば
それは

「自分はスピリットであると知っているのに、
  そのように生きなかったこと」
だと思います。

過去生があるとして
間違ってしまったこと、と思えるのは
自我であり罪を持つ者として
自分や人を攻撃して生きたこと、なのではないかと。
だから、今度は、それを繰り返さないようにしよう、としている。

スピリットであることなら
死んでからもできるでしょ?と思いますが
でも、肉体があるときでないと選べないコトなんじゃないか
という気がします。

えーと、何が書きたかったのか?と言えば
つまり、ある程度の下準備はいるにしても
過去と信じているものは、なかったことにできる、ということです。

なので、過去に囚われないで生きられる、と。
それは、たった今から始めることができる、と。

これから、それを体験的に知るつもりです。


美和子


スポンサーサイト

Category: ■ACIMつれづれ

00:00 | Comment(0) | Trackback(-) | EDIT

【夢日記】お寺の巨大なタンスを壊す

2011.01.20(Thu)

2011-01-20



お寺にいる。
高さ3~5メートルぐらいの巨大なタンス3つを背にして
そこの住職がお経を唱えている。
わたしは、その前にいる。

タンスは浮き彫りが施され、高価そうな大そうなもの。
タンスの上には、天井までピッタリはまる形で
開き戸の棚が据え付けられている。

わたしは「これは造り付けではないが、びくともしないだろう」
と思っている。

すると、タンスの上の左上方から
相撲取りが座るような大きな座布団が
どんどん飛び出て落ちてくる。
住職の分身?が座布団を投げているようだ。

そして、上方の棚が崩れ、巨大なタンスも倒れて壊れる。
びくともしないと思っていたものが壊れて驚く。
座布団や、タンスも、その中のものも
住職は処分するつもりらしい。


このタンスね、ものすごく大きかったですよぉ~~!

お経が壊した、という感じがしました。

夢の言わんとするところは、すぐにわからないでもないですが
念のため、イメージワークで
この住職にインタビューをしてみました(笑)

M(みわこ): このタンス、大きくてりっぱですね、何が入っているのですか?

J(住職): 代々伝わる経文を保存している。

M: それだけですか? タンスなのに服などは入っていないんですか。

J: 経文だけだ。

M: それは、よく使うものなのですか?

J: 使うことはない。

M: 使わないのに、しまってあるんですね。
   なぜ、保存しているんですか?使わないなら いらないのでは?

J: 古くから伝わり ここに置いてある物なので
   わたしがどうこう出来るものではないのだ。

M: でも、あなたは、要らないものだと思っていますよね。

J: 書いてあるものは わたしにとっては古くて不要ではある。

M: やっぱりそうなんですね。


確認したかったことが聞けたので、ここで会話を終えました。


かなり大きく、仰々しいタンス。
その中のものは、歴史があり貴重なものではあるが
まったく使われていないし
住職も、実は、要らないものだと思っている。
(住職は、わたしの一側面でもあります)

そして、毎日お経を唱え続け
それの積み重ねの結果だろうか、
今日、目の前で、崩れて壊れた。

タンスの中の経文、というのは
潜在意識~集合意識の中の記録・記憶、という感じがしますし
夢である過去生の中で学び身につけた
宗教的な教えや業績、とも思えます。

それらを、わたしは珍重し愛していた、とも思います。
そういう時代もあったろうけれど
もう、今は、要らないものになっているのです。

この夢での、「お経を唱える」という行為は、わたしにとっては
奇跡のコースのテキストを読むことや
デイリーワークをすること、と感じられます。

こつこつと積み重ねて、いつか
自我が作った、びくともしないと思っていたものが
壊れて消えていく・・・
それを、夢の中で体験したように感じます。

大きな座布団は、なんでしょうね。
国技館で、お客さんが投げる座布団みたいに
飛んできましたけど・・・^^;

出家してのお寺での修行や
何かはわからないけれど、過去にでーんと座っていた地位
みたいな感じもしますね。

早い話が、巨大なタンスの肥やしを
大事に持っていた、ってコトですか。

錯覚の大げさなものが消えて
すっきり身軽になったような気がした夢でした。


美和子


プロフィール

美和子(Miwako)

Author:美和子(Miwako)
美和子です。奇跡のコース学習者として 記録したいことを綴ります。

ここから検索できます

みわことのコンタクト・メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

総あしあと数

今見てくれている人

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
心と身体
14287位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
1671位
アクセスランキングを見る>>

QRコード

QR
↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。