【つれづれ】あれは聖霊の言葉ではなかったか

2011.07.24(Sun)


きのう
香咲弥須子さんの
『奇跡のコース』のワークを学ぶガイドブックシリーズ3
聖なる関係① を初めて読みました。


その中に
香咲さんが
子供のときの、お父さんの一言で
「何をやってもダメな子」と言われたように感じ
傷ついたことについて
書かれていました。


そして、大人になって奇跡のコースを学び
初めて聖霊(ホーリースピリット)の声を聞いたとき
当時の父の言葉は
いまの聖霊の言葉と同じだとわかって
喜びと平安に包まれた、とありました。


香咲さんが
「なぜ ここに来てくださったのですか」と訊くと
聖霊は
「それは あなたがどうしようもないからですよ」
と答えたそうです。



「どうしようもない」存在だけれども
それでも赦されていて
愛されていて
護られている。



子供のときお父さんが言ったのも

ダメな子であるかもしれないけれど
それにもかかわらず
お前は赦されていて
愛されていて、護られている
ということだったのだ

と気がついた、と。



(以上は 34~40ページの文章の、私なりの理解です)



わたしはこれを読んで

別れることを決めた時に聞いた
元オットの言葉を思い出しました。



「今までやりたいことをやっていたんだから
 これからもそうすればいい」


と、無表情で言ったように見えました。

投げやりで冷たい言葉のように
感じていました。


当時、彼がわたしがすることに口出しせず
いろいろさせてくれたことについて
申し訳ない、と罪の意識を持っていて
責められているように
わたしには聞こえたのかもしれません。



でも、誰がどのような態度で
言った(ように見えた)かに注目しないとすれば

その言葉で表された 
心の広さに対して
ほんとうにありがとう、と言いたいと
思ってもいました。



「今までのように
 これからも なにをやってもいいんだよ」

と言ってくれたのではないか、と。



本を読んでいて
やっぱり 元オットのその時の言葉は
彼を通して聖霊から出た言葉だったと感じて
本を見ながら(電車の中で したが)
涙を流していました。



おととい
奇跡のコースのワークで
「元オットを光として観て、聖霊の言葉を受け取る 」
というのをやっていたので


この本を無性に読みたくなったのは
聖霊からのレスポンスだったのかな
と思っています。



わたしはわたしのやりかたで
彼を愛していたし
彼は彼のやりかたで
わたしを愛していたのだと思います。

今でも、それは間違いないと思っています。



でも、だんだんに
お互いに欲しいものを与え合うことができなくなり
エゴのニーズを
満足させることはできなくなった。



そしてわたしは今はもう
結婚前に エゴの乾きを埋め合う
「特別な関係」を結ぶ相手として選んだ彼に

愛情の取引をする相手として
執着しなくなった

ということなのだと思います。



愛は、人と人との間で
与えたりもらったりするものではない。

あげたら減って、もらって満たされるというものでもない。


元々永遠に無限にある愛を、一緒に感じて分かち合うもの

どうもそのようなものであるらしい。
と、なんとなく知りつつあるから。



エゴを超えた
「聖なる関係」にまでは
なれなかったのは残念だったけど


わたしが
関係をなんとかしようと
握り締めていた手を離したことによって

今わたしが自由を感じているように
彼も解放されたのだと思います。



からだの見た目は別れた(分離している)ように見えるけれど

「(神と)離れてしまった夢を見ていること」に
「(神を)見捨ててしまった」と罪を感じなくてもいいように

起きてみている夢なので^^
まったく離れてはいないのですが^^;



彼にも、
わたしと からだとして一緒にいたらできなかった
やりたいことを
思う存分やってほしいです^^




無限の愛の中では
いつも
ゆるされているのだし

護られているのですから。



美和子
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【つれづれ】夢について書き留めた言葉

2011.07.20(Wed)

2011-07-20



眠って夢を見る

悪夢で怖い思いをする
どこかおかしな夢を見る

楽しい夢
心地よい夢



夢分析をして
意味を知って
「あー、そうなんだ」
と 

一瞬スッキリして
わかったつもりになって
それでおしまい 
なのではない

「そういう夢を見たいのか、見続けたくないのか」
確かめ

「自分は ○○である(存在だ)」
と宣言するために、夢を使う



夢で
何か(恐怖)に追いかけられている
攻撃をしている
攻撃を受けている
辛さを訴えている
状況に流されている

そういう存在なのか、自分は

そうありたいのか
ありたくないのか?



SPIRITである
愛である
罪はない者である
神の意思と一つである者である

そして
自分とは分離していると感じている
「きょうだい」も
自分と同じ



神とひとつであるなら
自我の力に押さえつけられるということはない
力のみなもとは無限なのだから

弱いと感じているのは
真の自己ではない

神とひとつである真の自己は
限りなく力強いものなのだ




・・・だそうです。

美和子


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プロフィール

美和子(Miwako)

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美和子です。奇跡のコース学習者として 記録したいことを綴ります。

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