【ワーク】手渡したときに 贈り物に気がつく[154]

2011.10.19(Wed)



今日のワークは 154課。

I am among the ministers of God.
わたしは神の代行者のひとりです


イエス・キリストのチャネリングであるという
奇跡のコースを なぜやっているのか、といえば。

理由の一つは
33歳の時の病気以来(卵巣嚢腫)
「神の導きに従って 奉仕したい」
という、いったいどこからその思いは出てくるんじゃ?
って思いを ずっと持っているからなのです。

「神のために働くのが 自分の喜び♪」
そういう思いがいつもあるんですね。

たぶん、過去世があるのなら
イエス・キリストの何かと関わっていたり(修道女だったとか)
なんらかの「神」を崇めて奉仕していたことが
あったのでは と思います。

ただ、その当時?は、自分を滅して
自分の外側にいる「神」に対して
盲目的に崇拝している感じだったように思います。

しかし、今の人生では
神、というのは自分でもある、ということを知りました。

コースのワークでは便宜上
「神」という存在が別にあるように捉えてみる時期も過ごしますが
意識がもっともっと広がった状態の自己があって
それを神と呼んでいる
ということを、いまのところ アタマでは知っています。

だから、この人生では
自我意識はしっかり持ちながら
主体的に、神の代行者(使者)であることを
選んでいるのです。

「神に従うのが 喜び」=「自己の喜びに 従うのが喜び」?
ということにもなりますね^^


今日のワークのアイディア
「わたしは神の代行者のひとりです」は
「やっと この言葉がキタァ~♪」
と、うれしかったです。

預言カフェで働くみなさんのように
神から預かった言葉をそのまま
目の前の人に伝えることができたら すばらしいと思いますが^^

わたしのスタイルは、違うみたいです。
夢やブログを使ったり、
セラピーやワークショップをするのもいいし
あちこちに出かけていろんな形で働くのも わたしの好みなので
きっとそれに沿ったやり方で できるのだと思います。



今日のワークで響いてきたのは

預かったメッセージ(贈り物)は、人に伝えること。
手渡さなければ、自分が受け取った贈り物に気付かない。


ということでした。

わたしはメッセージの預かり人で
しかるべき人にそれを贈った時に
じぶんにもたらされたものに気が付く。

そういうしくみ?なのですね~。
そのお相手と 一緒に贈り物を受け取るのです^^

いつ、どなたに何をお届けするのか 楽しみです。



美和子


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【ワーク】じぶんで護る必要はありません

2011.10.18(Tue)

今日の 奇跡のコースのワークは153課。
In my defenselessness my safety lies.
(防御をしなければ 安全でいられます)

以前、135課でも
同じようなアイディアのワークをしていますが
その時のことは全く忘れていて^^;
まるで初めて聞くことかのように思ってやっています。

以下は、わたしが感じ取ったことです。



防御する-身を護る必要を感じている、ということは
何かを恐れているから。

脅威を感じ、攻撃を受け
傷つくことを怖がっている。

でも、ほんとうのわたしたちは、傷つくことはできない。
完全に護られているのだから。



このワークは、
「防御をしなければ 安全でいられます」
というアイデアを、5分以上(時間の上限はない)心にとどめます。

椅子に座って 言葉を心で唱えているうちに
上に書いたような言葉も浮かんできたし

「安全に護られているのだから  じぶんで護る必要はない」

という思いがくり返し起こってきました。

さらに、アドバイス的な思いが どんどん浮かんできました。
書いてみると、次のようなことになります。


「朝 体操をしなければ」
「規則正しい暮らしをしなければ」
「食べ物の食べ合わせに気を付けなくては」
などという思いは
それをしなかったら不健康・病気になる、という怖れからだ。

もし、「そうするのが心地いいから」ということなら
好きなようにすればいいけれど
恐れているものから護ろう、と思っているなら その必要はない。

今、「こうするのがあたりまえ」「こうしなければいけない」
と意識的、無意識的に思っていることがあれば
今一度

「わたしは護られていて安全なので  自分で護る必要はない」
ということを胸にとどめつつ
それをしなかったらどういうことが起こるかを 試してみるといい。

おそらく、前よりも気分がいいことに気づくだろう。
肉体に関することだったら 調子がいい、と感じるかもしれない。

それは、じぶんが、身を守るために縛っていたものが
ほどけて、愛、幸せ、やすらぎを 感じられるスペースができたから。

その状態で
「こうするのが心地いいから やろう」と思うことなら
楽しんで気持ちよくできるだろう。




「そうか、アレもコレも、怖がって身を護るために
『やらなくちゃ』と思っていたことなんだ
無理にしなくてもいいんだ」

と思いながら 5分か10分ぐらい経ったころ
自然とアゴがほどけ、口が開いてきました。
動くままにしていたら 胸から頭部にかけて、あった何かが無くなって
ずどんと空洞になった感じがしました。

みぞおちから頭頂までが
ひっかかるものがなく「通った」感じです。
胸いっぱいに息が吸えるし 喉も頭の中も、スコーンとしていました。

「(スピリットとして)護られていて安全なのだから
 無邪気に、自由気ままにしていても 大丈夫なんだ」

その後、床に寝転んで
動かしたいように、体をひねったりして調整していました。

気がついたら、1時間も経っていて
今までで一番気持ちよいワークでした。

今日は、1時間に1回
このワークのアイデアを思い出して 過ごす時間を持ちます。



美和子


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【ワーク】すべてがあなたを祝福する

2011.10.16(Sun)


奇跡のコースのワークブック
今日のレッスンは151課。

All things are ecoes of the Voice for God.
(すべてのものは 神の声のこだまです)

このワークをしていて
感じた言葉を書きとってみました。


あなたが目にするものは、すべてあなたを祝福し、讃えるもの。
もし、そう見えないとすれば、見方が間違っている、ということ。

目の前の人、過去に会った人が、もし
あなたを傷つける、悲しませる、と思うとき、
それは見方が間違っている。

まず、目の前の人は、
-ほんとうの存在として、スピリットとしての-
あなたを傷つけることはできない。
悲しませることもできない。
あなたは、傷つくことはできない。 

感情として悲しい、傷ついた、と感じることはできるけれど
それによってダメージを受けることはできない。
なぜなら、あなたは元々そのような存在だからだ。

もし相手が自分を攻撃してくる、傷つける、と思えるとしたら
それは、あなたが自分を責めたい、傷つけたい、と思っているから。
自分はこんなにひどいことをしたから
罰せられなければならない、と無意識に思っているから。

だから、自分を罰してくれる人、攻めてくれる人が現れる・・・
・・・現れる、というか、目の前の人を
自分を責める存在として作っている、
そのように見たいので、そう見ている。それだけのこと。

見たいから見ているのだ。
とてもそうとは思えないだろうけれど。

でも、あなたには、実は、責められるべき罪などない。
いくら「とんでもないことをした」という記憶があったとしても
それがいかに生々しくあろうとも
その記憶は幻想でしかない。

そのことは起こっていない。
今はとてもそのようには思えないだろうが
ほんとうは、起こっていない。

はじめに言ったように、
あなたが目にするもの、感じ取るものはすべて
あなたを祝福するものである。

嫌いな人、敵と思える人であっても
その人だって、あなたと同様、
愛そのものであり、その人も聖霊に導かれている。

人との関わりで不愉快に感じる時は

「この人は、ほんとうは私が思っているような存在ではないし
 自分も傷つくことができる存在ではなく
 それを思い出させてくれるために、この人はいるのだ」

と、思ってみることができる。

こういう見方は、訓練をすれば、できるようになっていく。
習慣になるまでは、楽なことではないと感じるだろうが
あきらめず、引き続き ワークは続けていってほしい。





美和子








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【夢日記】 底なしの愛になる

2011.10.14(Fri)




今日は、胸とみぞおちのあたりが
キューンとなっている状態で
目覚めました。

せつない恋を
しているときみたいな感覚です。


好きな男性の、そっけなかったり
自分を特別扱いしてくれない態度に
不満を感じている夢でした。

その男性の容姿は、架空の韓国人俳優で
目覚めた時に「イエス・キリストだ」と感じました。



夢の中で感じたのは
この世の、人と人との間の愛への絶望と
さらには、神の愛への絶望です。

夢の中でわたしが
その、「好きな彼」に求めていたのは・・・

・じっくり話を聞いて
 誠実な受け答えをしてほしい

・甘えたい時に甘えさせてほしい
 (彼の方からハグとかキスとかも してほしい)


・それとなく(←コレ、ポイント)
 いつもわたしに関心を向けていて
 わたしが混乱しているときに
 「今、君がほしいものは、これでしょ?」と
 そのものずばりを教える、または
 目の前に差し出してほしい
 (これ、生身の男性にされたら、マジ、惚れちゃうね)

・困っているときに
 一緒にどうしたらいいか考えてほしい
 時には、一緒にいて手伝ってほしい
 しっかりとした支えを感じれば
 力がみなぎってきて、がんばれるから


そして

・わたしだけ特別扱いして
 わたしの望むやり方で
 わたしだけ愛してほしい



・・・ね、
この世の異性に
すべてこの願いを叶えてほしいと望んでも
無理な話だと思いませんか。
(異性でなくても、親でも先生でも 友達でもなんでも)

ここからは、わたしがこう感じている、
ってことを書きますが。

上に書いた願いを、もし
神のような存在(イエス・キリストとか)に
望んだとしたら どうでしょうか。

神様は、こちらが求めれば
たぶん肉体絡みのことでなければ
支えてくれ、アドバイスもくれ
望みを満たしてはくれるでしょう。

でも、自分だけを特別扱いてのは
してくれないのよ。
すべての人を愛しちゃってるんだから。


(いわゆるアガペですね^^)

そう感じられるのが、神の愛への絶望。

「自分だけを愛してくれないなんて
 神様ってひどい~」
と怒りさえ持つのです。

その怒りを 人間界の異性へ向けます。

求めても求めても
いつまでもどこまでも
底なしに満たされない感じが続き
愛と思い込んでいたものが
憎悪になっていたりします。

・・・こういった絶望を
眠って見る夢の中で感じていました。



そしてそれはもちろん
起きている時も、常に
(自我が)心の奥で感じているものです。

わたしがしたいのは
この、絶望的な現実という悪夢から
目覚めること、とも言えます。

「自分には 何かが欠けている」と感じているから
それをいつでも満たしたい。

その何か、ってのは モノとか状況でもありますが
たいていは大元が「愛」「幸せ」「やすらぎ」
だったりします。

夢から覚める、ってのは

「ほんとうは、なんにも足りないものはない
 だってわたし自身が すべてで愛(幸せ・やすらぎ)で
 愛しかないんだから」


と、まったくの疑いなしに実感するようになること
というふうに思っています。

そうなったら
自分だけに向けた特別な愛
は、求める必要がなくなります。

じぶんこそが
「底なしの愛」になる。
いつかはそういうふうに感じたいので
眠って見る夢と
奇跡のコースに取り組んでいます。


美和子

プロフィール

美和子(Miwako)

Author:美和子(Miwako)
美和子です。奇跡のコース学習者として 記録したいことを綴ります。

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