【つれづれ】アドバンスクラスと パソコンの話

2013.03.11(Mon)

おとといは、やすらぎの部屋
奇跡のコースを学ぶクラス、
アドバンスクラスに出席した。
都合で3か月休み、久しぶりの参加だった。

わたしは、この十何年か
人として、セラピストとしての、ありたい姿を描いて
それを胸に置いて暮らしてきた。

技術や言葉よりも、存在自体が何かを伝える。
わたしがその場にいるだけで安心感を感じるような
存在になりたいと思ってきた。

人の話をじっくり聴くことも好きだし、
その姿勢を大事にしたいと思っている。

そんなわたしが
奇跡のコースを伝える「在り方」のお手本としたいのが
やすらぎの部屋の コースの教師
コオさん(川上貢一さん)。

時々休みながらも、なんだかんだ
クラスに数年間通ってきたのは、
クラスでしか話せないような話も
コオさんとクラスメイトに批判・判断されずに聴いてもらえることや
コオさんの在り方から学ぶことが大きいからでもある。



それはさておき(爆)

きのう、久しぶりにクラスに出てみて
クラスメイトといろんなシェアをしていて思ったのは・・・

あらま、わたしもう、
物質的な何かや、外側の何かを手に入れること
(または、手に入れると想像すること)によって
ワクワク・ドキドキすることが
どんどん減りつつあるんだなぁ、ということ。

さらには、別にあんまり「ワクワク」したくもないし
気分が高揚するとか、しなくていい、いらん、って思ってもいる。

高揚感は いらないかもしれないけれど
ただただ静かに、しみじみと心地よさを感じる。
そういう体験なら いつでもしたい、と思う。



「ワクワク」は、自分には何かが「足りない」と思っていて
それが何かで満たされると感じる時に
感じるものであるらしい。

だから、足りないと思っているものが
期待に反して手に入らなかった時には「がっかり」する。

「ワクワク」と「がっかり」はセット、なんだそうだ。

「自分にはこれが不足しているから、それを満たす」
という、恐れによる動機で何かをしても結果は、
よさげに思えても、やはり何かが足りない
「がっかり」なものに なるようになっている。



先日、パソコンが壊れた。

修理するには、2年前にパソコンとプリンターを購入したよりも
高い料金の見積もりが出た。

買った時には、
「こんなパソコンが欲しい。予算はこのくらいで」と聖霊に頼んだ。
そして、買った時にはワクワクしながら
お得なよい買い物ができた、と思っていた。

それなのに、2年後にこんなことになるとは。
久々に、ショックが大きく、かなり動揺した。
ものすごくがっかりした。

しょせん、自我の知覚の世界って こんなモノ・・・

(パソが壊れたことと、心の思いと関係するであろうことはさておき)

この世界的な対応としては、
気に入っていて、使い続けたいパソコンだから
もっとたいせつに使っていくことを心に決め
修理することにした。




ところで、その買い物は、「いいこと」だったのか。
修理する事態になったこと
高い(と感じる)費用を払うことになったのは
「悪いこと」なのか。

「いい買い物をした」と思ったけれど、
いいのかどうかは、実は わたしにはわからないんだった。

何事においても、判断することはできない。
だから、何をするかは、聖霊に訊くしかない。
そうだった、そうだった。

とりあえず、知覚の世界のひとつの出来事として
いい悪いの判断は下さないで観察していこう。



話を戻すと。

「何かが足りない私」という自己認識だと
「わくわく→がっかり」 なものを体験することになる。

一方
「ひとつでありすべてである豊かな私たち」という認識で
「そのような私たちを体験させてほしい」と聖霊に頼むと
そういう体験ができる、らしい。
その体験は、想像がつかないもの。

そのお願いを真剣にしたことは
もしかしたら、ないかもしれないから
今朝は、聖霊に まじめに頼んでみた。

頼んでも、頼んだものをすぐ忘れるので
聖霊さん、「ほら、これがあの願いの体験だよ」って
わかるように教えてくださいね。



美和子



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Category: ■ACIMつれづれ

10:05 | Comment(0) | Trackback(-) | EDIT

【シェア】家族と住む暮らしになって

2013.03.09(Sat)



二年弱の一人暮らしから、
家族と一緒に住む生活に変わった。

お客様が来るか、自分が外出するかしなければ
他の人に会うことはなかった日々。
ひとりでいることを好むわたしは
それを手放すのを苦痛と感じていた。

今は、誰かしらと毎日接している。
しばらくは慣れなかったけれど
意外としんどさは感じない。

「他の人がいて その人がすることに自分が左右される」
と思っていると、辛いかもしれない。

家族の言動に反応する自我を感じるたび

「人のせいにしようにも『他の人』なんて、いないし
 ひとつであるわたしもあなたも愛」
と思い直す。

「自我が、自分が知覚したいものを作っているだけ」
「見ているものに責任を持とう」
と思い直す。


今日は
「よりによって、このタイミングでソンナコトをするか?!」
と怒りを感じた場面があった。
「いやがらせ?」「邪魔された」「困った」と思った。

2年前だったら、怒って文句を言ったはず。

怒りを感じながら、今日のレッスン183の文中の
「神の名に あなたを解放してくれるよう頼みなさい」
という言葉を思い出し

「神よ わたしを解放してください」
何回か心の中で唱えた。

すると、ほんの一瞬の時間差で
困るような状況を免れたと共に
怒りが静まった。

そして、相手には全く悪気はなかっただろうし
むしろ「こんなことは起こってほしくない」という
自分の心の恐れが作った場面だったかも
と思えてきた。

家族といるからこそできる
赦し・奇跡を行う機会が いくらでもある暮らし(苦笑)
ひとり暮らしで ワークブックを続けてきたから
思ったほどには しんどくないのかな。

今は、その機会をたいせつにしたい、と心から思う。



美和子



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01:05 | Comment(0) | Trackback(-) | EDIT

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美和子(Miwako)

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美和子です。奇跡のコース学習者として 記録したいことを綴ります。

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