【つれづれ】韓流エンタメの世界で 見たもの(その2)

2013.04.21(Sun)

その1 からの続き)

わたしはビジネス的なお金の計算はできないし
どこでどのようなお金が動いているのかに
興味もないのだけれど
とにかく、一人の韓流スターにハマると
そのためのお金を どんどんつぎ込むことになる。
いい夢を見続けるために。

「コース」的には、「いい夢」どころか、
非実在のこの世界での、悪夢でしかないだろう(笑)
でも、わたしは、そのことが
いいことか、悪いことか、判断するつもりはない。

わたしは、わたしがするべきことを体験しただけで
無駄だったとは思わない。
おもしろい体験だったなーと思う。



好きだった彼は(過去形 (笑))
ふだんは おしゃべりでとても気さくで、
近所のお兄ちゃん的な親しめるキャラである。

数秘術でのライフパスが5
誕生数(生まれた日)が3で、わたしと同じ数だ。
自由と冒険を好み、人生を楽しむために生まれた、
そのような魂(自我だけど)を持つ数だと思う。

それで、同じ数を持つ彼の、
芸能界に入る前のユニークな経歴に共感した。
苦労してやっと俳優としてブレイクした彼が
これからどのように生きるのかを見てみたかったし
歌手の夢を追う姿に 自分を重ねて見てもいた。

日本への進出でじわじわをファンを増やしていく彼と
波動共鳴して、自分にも勢いをつけたい、という思いもあった。



ところで、ファンミーティングやらライブやらでは
できるだけ いい座席を取りたい、と思うものだ。

よりよい席を確保するために、ファンクラブに入るのは、お約束だ。
会員が多いスターの場合は、抽選漏れになることもあるが
まだあまり多くなかったので、とりあえずは席はとれる。

席については、いつも「オーダー」していた。
韓流イベントについては、どの時も、
比較的いい席を取れたと思う。(ありがとう♪)

テレビ局主催のあるイベントでは
抽選で当たって、招待券をいただいたこともある。
これは事前に「当てる」と豪語していたものだが
いざ当たっても、そのイベント開催の時期には、
もう彼に対するテンションは 下がりつつあった。



イベントには、どうせ参加するなら めいっぱい楽しみたい。
いつも、うちわやボードなどの手作り応援グッズを持参する。
わたしは、仕事の時やふだんは落ち着きのあるイメージだけれど
イベントでは、声を出して騒ぐし、一緒に歌う。
スターへのアピールのコツも、だんだんにつかめてきた。
(もう忘れたけれど・・・笑)

韓流スターにハマると、日本でのイベントに飽き足らず
韓国や、その他の国まで追いかける人たちもいる。
わたしも、行ってみたいとは思ったけれど
いつもピンと来なかったので、行ったことはない。

彼が歌手デビューし、ある程度人気が出てくると
「人の応援よりも、今度は自分のことをしよう」とやる気が出てきた。
彼について、自分のすることは終わった感じがして
だんだんに興味が離れていった。




彼を応援していたころ・・・何度か夢に
彼が出てきたことがある。

道の向こう側の建物から、笑顔でわたしに手を振る彼。
ちょっと距離感を感じて寂しかったが、嬉しかった。

もうひとつは、わたしに
彼がかがみこんで、かぶっていた毛糸の帽子を
やさしくかぶせてくれる夢。

これらの夢は、彼本人がどうのこうのではなく
わたしの中の男性的な側面や、
それを投影する、パートナーとの関係・距離感が読み取れる。

それを映す、彼とのやりとりで
夢の中で自分が何を感じたか、が大事なのだと思う。

スターである彼は、わたしの寂しさや独占欲を
個人的に満たしてくれるわけではない。
もちろん、ふつうの生身の男性だって、
わたしが自分に不足していると感じているものを
満たしてくれるわけではない。それが悲しい。
・・・と、この夢から感じた。

帽子をかぶせてくれる夢では、夢の中の彼に感じたような
あたたかみ、やさしさ、包まれるようなぬくもりに
飢えていたことを感じた・・・・いや、正確には
夢を見た頃は、その自覚はなかったが
後で、そうだったんだろうな、と思った。

それを与えてくれない(と感じていた)
パートナーに不満を持っていた。

自分には不足しているものがあるから、そこを代わりに何かで埋める。
なので、俳優である彼にハマった(依存した)
と解釈することもできる。

そういえば、この当時は
「夫が 用途別に最低3人は欲しい」とか、友達と話していたっけ(笑)



韓流エンタメを幻想のゲームとして楽しんでいる
心の余裕ある人たちもいるけれど
とにかく、中年・熟年の女性たちが
スターに入れあげているときのエネルギーの向け方は、半端でないと思う。

ファンたちは、スターが来日しているときは、
なんだかそわそわ落ち着かない。
空港に出迎え・見送りに行くし
韓国語で手紙を書き、プレゼントを贈る。
兵役で入隊・除隊する時にも韓国へ出向く。

特定のスターをサポートすることが天職・ライフワークである人も
いるかもしれないが
母性愛というか、この世的な無償の愛っぽいものというか
このエネルギーを 心の平安のために向けたら
どんなにすごいことになるだろう、と幾度となく思った。



もはや、何のためにこれを書いているのか
落としどころもわからないまま、書いているが・・・(汗)



直の人間関係にしても、
夢の中の夢であるような韓流スターとの関係にしても
自分が欲しいもの(不足しているもの)をすべて
くれるわけではない。

それを思い知った体験だったと思う。

それをわかった上で、華やかな幻想を楽しむのもまたよし。
ではあるが・・・

わたしは、そういう世界を見続けたいのか?

自分は、心を埋めるべき
何かが欠けているような存在なのか?

・・・違うよねぇ。

・・・悔しいけれど(笑)




美和子





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【つれづれ】韓流エンタメの世界で 見たもの(その1)

2013.04.21(Sun)

前回、韓国ドラマを見ることによって
感情を認めやすくなったことを書いた。

韓ドラを見始めてから3年の間に
好きになった俳優のイベント等にいくつか参加し
今まで知らなかった世界を垣間見た。

それと、「自分にもこんな感情が起こるんだ」と驚くような
疑似恋愛的状態なファン心理を体験した。

ファン同士で和気あいあいとした交流もできたし
嫉妬からのイザコザなども起きていた。



そして韓流のビジネスは
欠けているものを埋めたい(と感じている)人の心理を
うまく利用しているなぁ、と思った。

わたしがどうやってハマっていったかを振り返ることで
その巧妙さを分かってもらえるかもしれない(笑)



韓ドラを見始めてから3カ月ほどは、
パソコンの無料動画で続きを見たくなったドラマを
レンタルDVDで借りて、見た。

その後、あまりにも気に入ったために
DVDをBOXで購入した。

その後、韓国TVでの本放送をリアルタイムで
ネットで見られることを知り
テレビ局のサイトから視聴を始めた。
(登録なしで無料で見られる方法もあるが
会員登録をしたほうが、安定した動画が見られるようだ)

もちろん、韓ドラ見始めて日の浅い者には
セリフの韓国語は チンプンカンプンであった。
五感を総動員して集中し、セリフの内容、状況を想像する。

ドラマに夢中になるにつれ、韓国語がわからないのがもどかしくなる。
番組サイト、韓国のニュース記事(ドラマ放送後に筋がアップされる)や
ドラマのファンカフェ(韓国ではドラマごとにコミュニティができる)
などで記事・投稿を翻訳機にかけながら
次週の放送までに なんとか内容を理解しようとする。

韓国ドラマファンの多くが目指すように
「字幕なしで ドラマを見られるようになりたい」と思う。
わたしは人には教わっていないが
ドラマを理解したいことや、韓流スターと話したいことが動機で
韓国語を習い始める人たちも多い。



さて。

韓国でリアルタイムのドラマを見ていて
ドラマのOSTでも歌っていた俳優に夢中になった。

ドラマの感想などを、プライベートなブログに書き始めた。
まだ、日本でのファンが少なかったためか
あまりアクセスや書き込みはなかった。

彼には、近々、日本での歌手デビューの予定があった。
そして、歌手として初めて彼が出るイベントに
参加することをきっかけに
ブログを通じて、ファン友達ができ、オフ会などもした。

このころのファン同士の交流が、一番楽しかったような気がする。
その後、「過去生で会っていましたか?」みたいな
長くお付き合いできる友達もできた。



泊りがけのファンミーティングへも行った。
バスでの移動、リゾートホテルでの宿泊と食事、
歌のライブ、トークショー
握手会とツーショット撮影がセットになっていた。
韓国・中国からのファンも参加し、
百何十名かのツアーだった。
年齢層は、小学生(親がファン)から、たぶん80代ぐらいまで。

このようなファンミーティングに参加するために、ご婦人方は
事前にヘアーサロンで髪を整え、エステでしわを伸ばし?!
握手のために、ハンドケアをしネイルサロンへ行く。

わたしも、このファンミへ行くことをきっかけに
友達に、お肌のお手入れ方法と、メイクのしかたを習った(爆)
ヘアーサロンでは、彼の写真を見せ
「彼の隣にいるのが似合う女性にして」と、無理なオーダーをした。
写真撮影がなければそこまでしないが
ツーショット写真は 残るものだから・・・

この時はカジュアルなファンミだったが
ディナーショー形式の場合は
ドレスアップのために、服を新調する人も多いらしい。

美容関係は、韓流ビジネスではないが
ファンミひとつに出るだけで、
そちら方面にもお金を使うことになる。

わたしは、この時のファンミは まあまあ楽しかった。
払ったお金の分は、楽しめたと感じた。
好きな彼に近くで会えて 歌声を聴けて さわれるだけで
すでにかなり嬉しく(笑)
日本でのファン人口が少ないために
ファンの人たちと彼の話をできることも楽しかった。

もちろん、聖霊に、
「このファンミで みなさんと愛を見せてください」
とお願いしていた。

ところが、後で聞いた話では
企画の進行に関して不公平だと苦情があったり
ファン同士の間でイザコザのようなものがあったと聞いた。
それで、楽しめなかった人もいたようだ。

今思えば、あらを探せば色々ある。

だいたい、これから歌手になるというのに
のどの調子が良くないは、休憩を入れないと歌えないはで(爆)
いいのかコレで?と思った。

(たぶん練習のし過ぎと発声の仕方のために。
 その後、反省したようで、長いライブコンサートでも
 持つようになったらしい・・・)

ま、それはそれで初々しく
かわいいといえば かわいかったのだが。

・・・わたしは、出発前後のオフ会など
ファン同士の出会いの場をセッティングしたり
自分なりに満ち足りた思いでいたので
同じイベントに参加した人たちから、不満やトラブルの話を聞き
「この、体験の違いはなんなんだろう?」と、びっくりした。
まったく違うものを見ていた、としか考えられなかった。

今思えば、わたしは、見たいものだけ見ていた、
とも言えると思う。


なんでこんな話を書き始めたんだろう?(・。・;

すでにかなり長文になったので、
次の記事その2へ続きます。




美和子


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【つれづれ】コースの学習補助教材としての韓国ドラマ

2013.04.20(Sat)

『天国から離れて』を、とりあえず最後まで読んだ。

全部目を通したけれど、
もちろん内容を理解したわけではなく
コースについて、まだわたしが知らないことや勘違いが
こんなにあったんだなーということが 分かったのだった(笑)

コースの学習者は、個人個人がその時々の、
受け入れられる器の範囲と受け入れやすい形態で
学ぶようになっているらしい。

たとえば、わたしは瞬間瞬間の感情に気づきにくい傾向があり
怒りなども、気づかないので、怒っていないと思い込んでいた。

しかし、たびたび体調を崩したり、ケガをしたり
夢ワークやアートセラピー(描画)では、
怒りを表す象徴を表現したりしていた。
周囲の、怒りを表現する人たちを不愉快に感じていた。

家族や親しい人には
「いつもは静かだが 怒ったら怖い」と言われていた。
自分では、怒りによって自分は何をしでかすかわからない、
(人を傷つけるとか殺すとか)
と感じていて、怒りを恐れていた。

この世界のものは幻想であるが
愛を見るのに障害となる感情を見ないようにして否認していたら、
それは幻想として、この世界にあり続ける。

噴火しなくても、マグマはいつか吹き出すべく、そこにある。
認めてはじめて、別の選択ができる。

わたしにとって、自分の感情に気づくために
最高に役に立った教材は
3年ほど前から見始めた、韓国ドラマだと思う。

韓国ドラマは、感情表現が豊かで、俳優がとても繊細な表現をする。
脚本に無理があり不自然なドラマもあるけれど
良質なものは、脚本も演出も演技も
ほんとうによくできている、と感じる。
それで、視聴者が共感したり投影したりしやすい。

日本の地上波放送ではコマーシャルが入るが(で、カットが多いのが難)
本来は、間にCMは入らず、
1話が1時間あまりノンストップで放送される。
しかも、韓国での放送は、
1週間に2話ずつのまとまりで進むために
続きが気になる作りになっている。ハマりやすいのだ。

韓ドラ見始めのころは、韓ドラの中でも悲劇でも愛憎劇でもなく
わりとマイルドなラブコメディを見ていただけなのに、
どんだけ泣くんだ?というほど
見ながら涙を流しまくったっけ。

そして、なぜだか、韓国語の響きが日本語よりも心地よく聞こえ
韓国語を聴きたい、というのも、見続ける支えとなっていた。

そして、そのころ、こんな夢を見た。

夢では、大画面のモニターの中から身を乗り出した俳優たちが、
画面の中へ入るように、わたしの手を引いて誘ってきたのだ。

当時は、ドラマの魅力に強くひかれながらも
その中にハマることが怖い と感じていた。
この夢を見て、大丈夫な気がする、
いっそドップリ浸かってみようか、と思えたのだった。

この夢は、いわば
「幻想の中に入りましょう」と誘っていたようなもの。
自我の誘惑、とも受け取れる。
でも、わたしは、どちらかといえば聖霊の声と受け取った。

幻想を幻想と認めるために、幻想をよく見るのだ、と。

わたしは、特に自分が惹かれたドラマは、何十回でも繰り返し見て
その世界にドップリ入り込む。そういう見方をする。



はじめは、ラブコメディを好んで見ていた。「愛」が見たいしね(笑)

だんだんに、嫌って避けていた、
ドロドロの復讐劇も見られるようになった。
登場人物に感情移入しながら、
自分にも、怒りはもちろん、嫉妬心や人を憎む思いがある、
と認めることになった。

そして、それに気が付き認めれば、
自我の思いに巻き込まれるのではなく
それを越えて愛を見る、という選択ができるようになる。



3年たった今は、怒りをはじめ感情の観察が
日常で ある程度可能になった。
ドラマの登場人物は、いい人よりも、悪役のほうの思いに
共感することが多いかな。

ドラマを見る時は、たいてい「一緒に見ていてね」と
聖霊にお願いして見ていた。

それで、ドラマの中で起こっていることが
どんなにひどいことであっても、
一見良さそうに見える特別な関係であっても
その向こうには愛しかない、ということを教えてくれたように思う。

最近は、ドラマにどっぷりハマるということもなく
好きな俳優が出るものや、ピンときたものだけを
愉しみとして見ている感じである。



★教材として?!何十回か繰り返し見たドラマの説明
 わたしの好みとその時々の必要で見ていただけなので、万人におススメはしない


コーヒープリンス1号店(フジTVサイト)   美和子の評価★★★★★ 
    登場人物がすべて活き活きとして、愛らしい♪
    製作者側の愛がたっぷり込められたラブコメディ
    うらぶれたカフェを、1から再建するストーリーが
    当時の心象風景にフィットした。 
    インディーズを多数採用したOSTがおしゃれで好き

お嬢様をお願い(TBSサイト)  ★★★☆☆
    お嬢様を見守り、時に厳しく叱る、私にとっての理想の執事役、
    ユン・サンヒョンにハマったが、
    意味ありげな伏線とチョン・イルを活かせなかった脚本は、どうかと思う。

私の期限は49日(日本公式サイト) ★★★★★
    脚本・演出・演技3拍子揃った、数々の伏線が効いていて
    とてもよくできているファンタジーロマンス。必ずノーカット版を見てほしい
    死や憑依を扱っていると聞き、興味を持ったのが 見るきっかけ。
    奮闘する女性主人公を、愛を持って見守り助けるハン・ガンが
    めちゃ聖霊的で、わたしはハマった。OSTも、いい曲が多い
    




美和子




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【つれづれ】「ヘレンとビルを特別であると考えない」

2013.04.18(Thu)


ひきつづき『天国から離れて』を読んでいる。

読み進むにつれ
「知りたいことばかり書いてある」という思いで
圧倒される。

ヘレンの、ビルへの手紙やイエスとの交信記録をなどを引用し
イエスとヘレン、ビルとのやりとりが
読み手によってはくどく感じるほどに
こと細かに書かれている。

コースの書き取りが始まった後の記録には、
イエスの、ヘレンとビルへの個人的なアドバイスも多く
今のコースのテキストからは省かれた部分も載っていて
「ああ、ここは元々は二人に向かってイエスが語ったことなのか」
と、感慨深いものがある。

著者 ケネス・ワープニック氏の文章は
言葉の一つ一つが、読み手に可能な限り
正確に受け取られるように配慮して
書かれているように感じ取れる。

そして、つい頭ですべて理解したくなってしまい
それで、喜びのはずの読書が いつの間にか
苦しいものになる(笑)

辛いのだが、やはりこの本に惹かれてやまない。複雑だ。

とりあえず、どこに何が書いていあるかが
なんとなくわかるように、一通り通しで読むつもり。

その後は、「指示」に従い
必要なところを読み返すことになるだろう。
そして、読み返すときには、
コースのテキストがそうであるように
まるで初めて読むような感じがするのかも。



この本に書かれている何かが
今のわたしの 自分でもよくわからない葛藤に対して
答えをくれることはわかっていたが
きのう、ようやくわかりかけてきた。

まず、ひとつめは。

「もっと 些細なことについても 教え・助けを求めてほしい」
という、イエス(聖霊)からの働きかけ。



天界の計画によって
奇跡のコースを記述し、編集し、出版するために
ヘレンとビルが「特別に」選ばれた、と受け取ることもできる。

ふたりの適性や必要性などによって
確かに選ばれたのではあるが。

読んでいると、イエスに直接こと細かに
コースの教えを摘要するべく指導されているヘレンとビルが
うらやましくなってくる。

一方、わたしは
「自分はコースの学習者で、将来は教師になるかもしれないが
 数多くの学習者中の一人にすぎない」
という認識を持つ。

「ヘレンとビルは 大きな仕事を任されたけど
わたしはその他大勢の一人なんだから
彼らほどには、学びについて期待されていないだろうし
彼らが言われているほど厳密に学ばなくてもいいのではないか」

と思ったのだ。(もちろん自我が)

しかしそこに、
「それは分離」「だれも特別ではない」
という思いが浮かんだ。

「ヘレンとビルは 自分とは違う特別な存在」
と思い
それをうらやましく感じた。

それが、間違った思いである、ということだ。

元々、著者、ケネス・ワープニック氏がヘレンについての本を
書こうとした動機が
ヘレンの死後、彼女を過度に神秘化されることや
様々な誤解から彼女を護るためにであった。

そして、ヘレンの内的生活を描くことは
あらゆる人の物語を描くことであり、つまり
この本は、ヘレンにもその他の人にも
遅かれ早かれ内的に起こることは共通なのだ
という思いで読むべき本なのだ。

(というふうに わたしは受け取った)

わたしは、自分では
「イエスの声がロクに聞こえない。
あんまり重要な人物でないから向こうが気にかけていないんだ」
と思っていた(笑)

でも、認めたくないがやっぱり
「聞く耳を持たないから(感じ取ろうと心を開かないから)
 受け取れていない(気がする)んだ」
と、降参した。

いつでも「わたしは何もわからないから教えて」と
と声をかければいいだけなのにねぇ。



そしてもうひとつ。

「聞く」ときは、一人で受け取ろう、受け取ろうと
がんばるほど聞こえない、ということ。

そういうときは、意に反して
「自分一人で何とかしたい」という思いに
夢中になってしまう。

そういうときは、誰かほかの人のために、または
他の人と一緒にいる状況で、受け取りやすくなる(場合もある)

ということのようだ。

イエスとの交信は、ヘレンが担当していた。
その内容は、ヘレンを通じて ビルに伝えられた。

交信が、その能力を持つヘレンにしかできないから、でなくて
(ビルが聞く耳を持たないから、という理由もあるが)
ヘレンとビルがイエスの伝言をシェアし
一緒に学ぶ(間違いを訂正する)必要があったから、でもあった。



このごろは、肉体のある人が言う言葉に
「あ、これは聖霊の声だ」と思うことがある。

自分が、それが聖霊(またはイエス)の伝言であると
受け取れていないだけで
実は、身の回りの人の言葉や態度は
聖霊からの贈り物だらけだったのかもしれない・・・
ということも、今気づいた(笑)


美和子





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今、形にしたいと思っているものについての覚書

2013.04.17(Wed)



このごろ、以前ほどには
「成功」「失敗」にこだわならくなったと思うが
(そういう判断をあまりしなくなった)
もし人生での成功というものがあるとすれば

わたしにとっては、現時点では
「いつでも愛・平安を感じられる状態
(恐れから自由になった状態)になれること」
ができたら、成功と言えるかな?と思う。

「成功」という言葉はしっくりこないが
そこに達したい状態(目標、とも ちょっと違う感じがする)
が、そういう状態になることである。

日常で意識していないものを体験している
睡眠中の夢を扱って、恐れから解放され
(恐れを感じたとしても、それによって心、行動が制限されない)
「いつでも愛・平安を感じられるようになれること」を求めつつ
心豊かに幸せに楽しく暮らすことを志向する。

もちろん、奇跡のコースの世界観が基になる。

今、わたしが模索中で
形にしたいセッション(レッスンっぽい感じかな?)と
グループワークは、そのようなものだ。

夢を素材として、意識下のものを意識に上らせて、
それについて「どうあるか」を選択する。
あるものは言語化し、あるものはイメージのまま
見守っていく。(あるがままをゆるす)

先日書いた「時間短縮」ということでは
特にグループワークでは、癒し(恐れからの解放)の
かなりの時間短縮ができるのでは?と思う。



美和子








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【ワーク】ワークをするか、本を読むか

2013.04.14(Sun)




届いた『天国から離れて』ケネス・ワープニック著を
昨日から読み始めた。

イエス・キリストとコンタクトを取りながら
奇跡のコースを書き取ったヘレン・シャックマンが
どんな外的できごとや内的体験を経て
コースの記述をするに至ったか、に興味があった。

でも、今日は、その内容について書きたいのではなく。。。


毎日、朝は、瞑想かワークブックをする。
「しないと落ち着かないから」という思いでする時もあるが
たいていは、早朝に聖霊に挨拶をすると
気持よく一日がスタートするから、という感じで、している。

今朝は、ワークをするよりも
早く『天国から離れて』の続きを読みたいと感じて
起きてすぐに読み始めた。

すると、「今日は 朝のワーク(瞑想)をサボるの?」と
思考のツッコミが入った。

「コースに関する本を読むことを言い訳にして、サボるわけ?」と。

「うーん、でも、今は本を読むよう導かれてるっぽく感じるけどなー」

ちょっと自信なさげになる、もう一つの思考(笑)

朝食後にフェイスブックを開くと
フィードに、Foundation for Inner Peaceからの
ワークブックと「特別性」について
書いてあると思われる英文が流れてきた。
・・・どうも、聖霊からの答えっぽい(笑)

読んでも意味がよくわからないので、
それに似た内容が書かれた
日本語の文章がないかどうか、検索で探してみた。
そして、JCIMの、このQ&Aを見つけた。

【質問29 ワークブックの練習について】

繰り返しするように、ワークをするように導かれている、
と感じるならすればいい、という感じだろうか。

ワークによって、神・聖霊とコンタクトしたいという思いが
あたりまえにように習慣づけば、
ワークを1回通してすれば、必要はないらしい。

ワークに依存するよう仕向けるのも、
真実から目をそらすための自我の誘惑なのね。
めんどくさー(笑)

「ワークをしなければならない」と感じるなら
しなかったら恐ろしいことが起こるという
恐れに囚われている自分をゆるす。

指示通りにできない自分を正視して、ゆるす。

と、いうことらしい。

わたしの場合は、朝にワークや瞑想をするという
形式にとらわれる自分をゆるすのが、今することかな?

ということで、安心して本を読み続けようっと(^o^)♪



Miwako





Category: ■ワークブック

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【つれづれ】時間の短縮について思ったこと

2013.04.13(Sat)




去年図書館で借りて読んだ
ケネス・ワプニック氏の著書『天国から離れて』を注文した。

今日か明日届く予定で、とっても楽しみだ。

『天国から離れて』の中に
コースを記述したヘレン・シャックマンが
欲しいコートを買うために、
イエスが、購入する店とタイミングをアレンジしたという
エピソードがあった。

ヘレンが買い物に費やす時間を短縮し
コースの記述に専念するために、ということだった。(と思う)

わたしにも、欲しいデザインのブラウスを
思わぬところで思わぬ低価格で買えた体験がある。

これも、時間短縮のためだったのかどうかはわからないが
ヘレンの話を知って
わたしにも、ミラクルワークに専念するために
時間を無駄遣いせず短縮のための何かが与えられたことが
あったのかもしれない、と思えてワクワクした。



わたしの時間短縮としては、
過去の近いところで大きなものでは、「離婚」かな?と思った。

元家族と一緒にいてコースを学び続ける、という選択もあった。
というか、当時は「それしかありえない」と感じていた。
(それを続けなかったことについて、後々、かなり自責の念を持った)

しかし、その暮らしを続けることが
寄り道、余計な負担・・・重圧になっていることを表す夢を見て
夢体験として納得がいった。
→【寄り道して袋小路に入る】夢

独り身になって、1年半ほど一人暮らしをした。
その間に、まだ一度も終わらせたことのなかったワークブックを
ウロウロしながらも最後まですることができた。

ほとんど一日を一人だけで過ごす生活。

一人でいると、過去の記憶が何度も思い起こされる。
その記憶(知覚したと思っているもの)に対して
感情が沸き起こってくる。

誰かを攻撃したくても、
都合の悪いことを誰かのせいにしたくても
自分の他には誰もいない・・・責めようがない。

この生活で、
他の人が何を思うかは関係なくて
わたしが間違った知覚をしているだけで
わたしが何を見たいか、どうありたいかを選び
聖霊に訂正(元に戻)してもらうだけなのだ
と思わざるを得なくなった。

そしてこの生活で
その、記憶の幻想に対して出てくるたびに
ゆるし(奇跡)を行った。

愛と感じるものも たくさん体験した。

奇跡のコースが 前よりも好きになった。
本当の自己へ戻る方法は様々であっても
わたしはコースを使ってみんなで戻ろう、と心が決まった。

その間に、次の仕事への道筋ができて
そのために、実家に戻って家族と暮らす心づもりができた。

家族とフランクに何でも話せて仲良く暮らすこと。
家族と(だけでなく他の「きょうだい」たちとも)
そのような関係になることは、
わたしのこの人生で成し遂げたいことの一つであり
コースを学びながらそれができるのは嬉しいことだ。

・・・と、過去のことと時間短縮をこのように意味づけして
納得がいったように感じるだけなのかもしれないが。
今はコレでしっくり行っているので、よしとしよう。



美和子






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【つれづれ】つい、意味を考えてリアルにしちゃっているのだった

2013.04.08(Mon)



過日、携帯電話をトイレに水没させて壊した。

携帯電話がひとつ壊れるだけで、動揺して
そのことに感情と行動が振り回されてしまう。



どういうことが起こったのかといえば
ジーンズのポケットに携帯を入れていたのを忘れていて
無意識に立ち上がったら、ポケットから落ちた。

(・・・という知覚をした)

同機種の新品と交換する費用が何千円かかかったけれど
補償サービスに入っていて、出費は抑えられた。
電源以外のキー操作ができなくなって
画像・音楽・電話帳などデータは全滅した。
(データ復旧させるサービスは使わなかった)

・・・そういう現象として、わたしは記憶している。

また同じことをしてしまうのは、嫌だ。(←怖れ)

もう同じことをしない対策としては、
携帯をジーンズやズボンのポケットに入れないことに決めた。
そして、どこかに置き忘れのないよう
存在が目立つようにと、ケースの巾着を
ストラップ部分にくくりつけた。

でも、ポケットに入れなくなってからは
置き忘れや不携帯状態が多くなった。

それでも困ったことはない(と思う)。

そして、対策を講じると同時に
「このことは、なぜ今起こったのだろう?」
「このできごとは、何を意味しているのだろう?
 (何のメッセージがあるのだろう?)」
と思った。



ものごとの解釈をして、
それが腑に落ちれば安心できる(ような気がする)。

「使えないことによって、ものごとの進展をストップさせるため」
「『今は、携帯でのコミュニケーションより、
 生身のコミュニケーションが大事な時』というメッセージ」
「『過去はいらない』ということを学ぶため」
などと、いくつかのアイディアがすっと浮かんでくる。

しまいには
「『過去はない』という体験だ」などと
コースの学びに関係あるような解釈をする。

聖霊に話しかけないで
自分で考えて答えを出そうとする。



おととい出席したアドバンスクラスでは
「これって、どういうこと?」と考えること自体が
幻であって実在しない出来事をリアルにしてしまう、
という話になった。

それが自我の誘惑。

自分で解釈しようとするのはもちろん
人に「これって どういうこと?」と聞かれると
思わず「それはね・・・」と答えを出したくなる。
何か言えると、カッコいい感じもするし(笑)



過去にあったこと、と思っている幻想は
何も意味していない。
だから、幻想の意味を考えても意味はないはず(笑)

動揺するのは、何もないところに
何か幻想を見たから 動揺しているのだ。



できごとに自分なりの意味を見つけたら
なんとなく安心する。満たされた感じがする。
でも、真実(実在)ではないので
それは、一時の満足感で終わる。

意味を考えさせることによって
自我は、真実から目をそらせようとする。
自我を解体から護ろうとする。

残念だけれど、そういうふうになっているようだ。



動揺した感情、見た幻想は聖霊に託し
見た幻想の意味を考えることなしに、
聖霊と共にいて、体験を信頼する。

そうなれたらどんなに楽だろう、って思うわぁ・・・



美和子




Category: ■ACIMつれづれ

19:23 | Comment(0) | Trackback(-) | EDIT

【ワーク】「何もしなくていい」身体への防御はほんとうにいらないのか?

2013.04.08(Mon)

このごろ、
「これをすると身体によい」と思っていることは
ほんとうにそうなんだろうか?

しっかり確かめたい思いが何度も頭をよぎる。

身体の施術の仕事のなかで
症状の改善、健康の維持のために
自分は何を心がけたらいいか?
アドバイスを求められることがある。

その場その場で、
答えたり、答えなかったり
自分で考えて(感じて)もらったり
一緒に考えたり(感じたり)と
様々に応じている。

わたし自身には、この先生、と決めて
ある程度定期的に治療をしてもらっている医師がいる。
(体のリーディングをしながら治療する)

始めの頃は、患者として、健康食品や健康法など
「自分に何が合っているか」を尋ねることもあった。

あまり余計なことは言わない先生。
かかり始めて何年かして
子宮からの多量の出血が続く事をきっかけに再度通い始めたある日
「何か身体のためにした方がいいことはありますか」
と聞いたことがある。

そのときの返事は
「なにもしなくていい」だった。

その治療を始める前に
婦人科で診察と検査を受けた時の婦人科医は
子宮体がんなどの病気ではないが、
出血が長引くようなら、ホルモン治療をするとのことだった。
しかし、貧血でもないし
薬を使うのは心地よくなさそうに感じたので
その選択はしなかった。

とはいえ、デトックスや体操や食養生など
何かしなくてはいけないだろうと思っていた。
「何もしなくていい」
そう言われて、えらくホッとしたという記憶がある。
黙って身体をゆだねて治療を受けていればいいのだ、と。

不健康である(と思い込む)ことを恐れ、それを避けるために
「〇〇をしなくては」「××をしてはいけない」という思いが
自分を窮屈にしていたのだと、気がついた。

何もしなくていいとはいえ、
都内へ出向き、おまかせ治療は受けるのだが(笑)

何かをすることやしないことと
身体の状態とを結びつけない。
それをその先生の態度から感じ取っていたので
自分の仕事の時も自然と、
余計なことは言わなくなっている。

もちろん「それでもこの人の真の自己は
侵されていないから大丈夫」と思うようにもしている。
(それを全ての人について体験したわけではないから
それを完全に信頼している、とは言えないが)

わたしの施術は、手技での施術と自然療法であるけれど
使っている基材や販売する健康食品そのものに
効き目があるとかないとか
そこには こだわりはない。

コースに書いてあるように
魔術の一種なんだろうな、と思っている。
ただ、療法を考案した人たちの愛が
その方法と作ったものに注がれているのを感じるので、
その愛を他の人に伝えたいという思いはある。

そして、何かピンと来た人や、
今の自分にはこの療法が合っていると感じる人で
その時その時 わたしと一緒に学び与え合うものを持つ人が
お客さんとして来てくださるのだと思っている。

とはいえ、身体に表れている症状・状態をきっかけに出会う方々と、
自分たちは自我~身体ではないことを
経済的な基盤を築きながら、どう体験していくか。
はたして、そんなことってできるのか?

それが、今、わたしがしたい体験であり
聖霊が用意してくれたセッティングなのだ、と思う。

そして、今朝のワークは、またレッスン136に戻り
「病とは真実に対する防御です」
のアイディアを復習することにした。

健康は完全に保証されていて
時間・天候・疲労・食べものや飲み物、
身体に仕えさせていたどんな法則にも制限されない。
そのようなもので防御する必要はない。
制限を脇へ置けば、
身体の強さは、本当に役立つ目的に十分使えるようになる。

それを体験させてください。


美和子





Category: ■ワークブック

11:00 | Comment(2) | Trackback(-) | EDIT

【つれづれ】ひたすら訂正してもらう日々

2013.04.01(Mon)




3月は、突然暖かさがやってきて
花々が一斉に花開き、心がそれに追いつけない日々だった。
そして、後半は、毎日眠くてしかたがなく睡眠をたくさんとっていた。

新年度始まりの今日は、何か切り替わって
しゃきっとしてきたので、またゴソゴソと
片づけ物・掃除などをしはじめた。



ところで最近、フェイスブックやブログで
誰かほかの人が書いていることや活動・イベントに
興味が持てなくなっている。

パソコンを壊して、修理中にwebから離れていたことや
過日、携帯を水没させ壊したことも
関係あるかもしれない。

人が書くものに興味を持てないことについて
「感性が鈍感になってしまっている、それはおかしい」
「情報に乗り遅れる」「他の人に後れを取っている」
「(SNSなどで)友達に不義理をしている」
と、わが自我氏は 突っ込んでくる。

でもそれは「問題」ではないのだと思う。
webの世界よりも、
家族をはじめ 仕事の施術のお客様方、知人たち
生身の人や生きものたちとの関わりが
日常の、身の回りのことが おもしろいのだ。



毎日、ほんのささいな思いでも、気づけば
聖霊に預けて、知覚を訂正してもらっている。

気持ちいいことばかりでなくて
「ちっ」と思うような、時には「ギクリ」とする、
不快なこともあるし、疲れを感じる時もある。

とはいえ、聖霊に預けて
「あ、判断(いい・わるいetc.)したから しんどかったんだ」
「この出来事に別に意味はない」「問題じゃない」
「この人の本当の姿を見たい」
などと思い直すことができる時が 増えている。

そのように「奇跡」「ゆるし」を行なったものについて
ひとつひとつ確認はしていないけれど
確かに「訂正」された証拠のような
人からの愛を知覚する瞬間は、ちゃんとあるようだ。

愛を差し出せば、愛を受け取ることになる。
それを体験している。



外側に 誰かほかの人がいるのではなく
外側で 何かひどいことが起こっているのではなく
外側に 何かおもしろいものがあるのでもない。

自分が作っている(創っている)ものだけが見えている。

見えているものを変えたいなら
そのものを どうこうするのではなく
期待通りに動かない誰かを 変えようとするのではなく
自分にとって都合の悪いことを人のせいにするのではなく

見ている(知覚している)ものを
聖霊に訂正してもらい、
愛・平和・やすらぎ・穏やかさ・光・・・
正しい知覚を 体験させてもらおう。



美和子






Category: ■ACIMつれづれ

18:53 | Comment(0) | Trackback(-) | EDIT

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美和子です。奇跡のコース学習者として 記録したいことを綴ります。

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