【シェアリング】工事現場のできごと2つ

2016.05.19(Thu)


10年近く前に こんなことがあった。

借りていたワンル-ムの仕事場のエアコンが壊れて
新しいエアコンを 2人の男性作業員が取り付けに来た。

作業員の先輩格の人がイラついていて 
ひとつ動くたびに 後輩をののしり叱ったり
車まで 何度も道具を取りに行かせたりしている。

狭い部屋の中で聞いていて
まるで自分が罵倒されているかのようで
その場から逃げたくなった。

でも 自分が体験するものは
心の中の反映 と思い 自分の心を癒そうとした。

そのときは 奇跡のコ-スはよく知らなくて
当時さかんに使われていた「ホ・オポノポノ」の言葉
「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」
を心の中で繰り返してみた。

すると 取り付け作業の後半では
先輩の態度がおもしろいように変わっていて
後輩を誉めたり 持ち上げたりする言葉や笑い声が聞こえてきた。



今 裏のお宅に塗装工事が入っている。

先日 足場を組む作業中に
親方のような人が何度も下の人に まるで
うっぷん晴らしのように 小言を言ったりどやしつけたりしていた。

塗装工事には騒音は付き物だけれど
作業の音より 工事する人の声が近所迷惑! と思った。

施術の仕事部屋は 裏のお宅に近く
お客様の施術をしながら聞こえてくる声に
「ああ また始まった」

わたしがイライラすると お客さまに集中できない それは困る。
しかし お客さまは自分の話に夢中で 声を気にしていないようだった。

「わたしがイライラすると…」と書いたが 実際は
わたしの中にあるイライラや 
過去に 先輩・上司についていた時に感じた恐怖心を 
塗装工事の人たちが見せてくれている。

親方(?)の愛を求める心の叫びを自分のものと感じつつ
「わたしの幻想の中で 不快な役を買って 見せてくれてありがとう」と
心の中で言って 訂正となりゆきを聖霊に任せた。

そうしたら 急に ののしり声が小さくくぐもった声となり
変わらず何かやりとりをしてはいるのだけど
わたしの耳には「もごもご」みたいな鳩が「ぐるぐる」言うみたいな
不思議な声に変わって聞こえてきて 笑いそうになった。
(鳩は『平和』の象徴ってか?!)

そして お客様の自我の訴えを いつもよりもたくさん聞き
そのお話から一緒に見せてもらった錯覚を
聖霊に渡せたのではないかと思う。


あの 口うるさい親方の ひっきりなしのダメ出しは
わたしが いつも心の中でしていることだ。
そして 次は何を言われるのかと ビクビク怯えて動けない自分もいる。

わたしがすべきなのは
工事の人に「工事の音よりうるさいんですけど」と
彼らを自分の外の人と見て 苦情を言って相手を変えようとすることでなく

見ている夢(幻想)に気がついて 
代わりに奇跡を見せてくれるよう 聖霊に預けること。

引き続き 裏のお宅の様子は 観察してまいります。




美和子
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11:53 | Comment(0) | Trackback(-) | EDIT

【シェアリング】 自分で計画しない 護らない 

2016.05.14(Sat)


このところ 仕事の内容・メニュ-の見直しをしている。

ボディヒ-リングやセラピ-的な今の形のままだと 
幻想を 別の幻想でごまかす誘惑に 
はまってしまいがちだから・・・

(ごまかしの例:肉体の辛さを訴える人を それを真に受けて問題だと受け取め
その状態を好ましいものに変えようとすることを ヒ-リングとして行う)

・・・幻想に気づいて ほんとうの私たちを体験する
いっしょに光を見て幸せな体験をする
それが わたしが「きょうだい」たちとしたいことなのだから
ヒ-リングやセラピ-の形であっても 別の何かでも
いま 自分にふさわしい仕事の形はどんなものだろう と
あらためて見直したいのだ。

それで 奇跡のコ-スの 
レッスン135「自分を防衛するなら、私は攻撃される」 
レッスン136「病気は真理に対する防衛である」
(「奇跡講座ワ-クブック編」の和訳)
などを読み返している。

それで読んで思ったのが
「あたし 毎日 聖霊の声 ぜんぜん聴こうとしてないじゃん。
きっと受け取っている すてきなものにも気づいてないじゃん」 ということ。

不快を感じたときは幻想と分かりやすく 聴けているかな?と思うから
100パ-セント聴いてない受け取ってないわけではないけれど
「やってるつもり」だったなぁ と思った。

同じことを繰り返す 自我のののしり声でアタマをいっぱいにしていたり
自分で思いついた計画の遂行に忙しいことで
聖霊の「これ幻想だよね?」という示唆も
家族や「きょうだい」たちからの愛(とその表現)も
あるのに気づけないで聴かないで見ないでスル―しているのだ。
ほんとうは 今見ているよりも 
もっとすてきな世界が見られるかもしれないのに。

もう いいかげん それをやめたいと思い
再び 無意識の習慣を変える訓練をすることにした。
昨日から 目の前に起こったことにすぐ反応し動くるのを(気づいた限りで)止め
「今行動するかしないか するなら何をするか」を 聖霊に訊くことにした。
何かに没頭しそうになったら ふと手を止め お伺いを立てることにした。



おとといの夕方時点で 昨日の仕事の予約はなかった。
自分で立てた 昨日の大まかな計画はこうだった。


①午前は 庭木の剪定か 仕事関係のことか 部屋の片づけをする。
②昼過ぎ 習い事の教室に 徒歩で向かう。(30分ほど)
③教室の前に ス-パ-に寄って ある物を買う。 
④3時間教室で過ごす。
⑤その後 教室近くのディ-ラ-に車検が終わった車を引き取りに行き帰宅。

なんとなくそう考えたいたら おとといの夜 
昨日の施術予約希望の電話が入った。

先方の都合は ちょうど習い事に行っている時間帯。
教室は 午前のクラスにも振替できる。
ただし 午前クラスは人数が多く 十分に教われないかもしれないし
たとえ午前に行っても 車検の引き取りはできない。

「すみません」と言いながら
やむなく 希望時間よりも3時間遅い夕方に お約束した。

さて そして昨日。

自分で立てた大まかな計画に従い とりあえず教室へ向かう。
でも 聖霊に訊きながら動きを決めていくつもりではある。

イヤホンで音楽を聴きながら 教室がある住宅街まで来た。
ふと「イヤホンしている人って 自分の世界に入っていて声がかけにくい」
と思う。
声をかけられたくない時 聴いているふりで音のないイヤホンをつけることもある。

音楽を聴いていると 風景も行きかう人たちも 自分とは関係ないものに感じる。
日頃 「音楽聴いていると 聖霊の声は聴けない」と思うこともある。

それで「今は ほんとうに聴きたいの?」と胸に訊いた。
聴き始めは 音楽を楽しんでいたが
その時はもう 惰性で流していたので イヤホンを外してみた。
すると ななめ前方に リュックをしょった女性が「見えた」。

そこは長い坂道で 女性は 「ふぅ」と息をついて 立ち止まる。
目が合うと 思わず笑みが出た。
何か言いたそうにしているようで 見つめると
女性は 「暑いわね」 と。
「暑いですね。(リュックからのぞく)大根重そう。がんばって」

別れてから 「がんばって」って声かけはどうだったんだろう?と思いつつも・・・
惰性でイヤホンをし続けていたら 
そんな 心あたたまる ちょっと嬉しいふれあいができなかっただろう。

しかし ここで立ち止まったために
ス-パ-に寄ると 教室の開始時間には間に合いそうもない。
教室の後に寄ると 夕方の予約時間ぎりぎりになるかも。それは困る。
遅刻を覚悟で 耳は澄ましつつス-パ-に足を向けると
頭の中に「その必要はない」と浮かぶ。

それで時間通りに教室へ行き 3時間過ごした。

車検の引き取りに行くと 
名前を言わなくても所長さんが すかさず案内してくれて
手続きはスム-ズに済んだ。

これで買い物をしても 早く家に着けそうなので 
ディ-ラ-のカウンタ-で領収証などの発行を待つ間に
予約のお客様に
「よかったら少し早めにお越しください」とメ-ルを打ちかける。
そこでまたも「その必要はない」という思いが浮かび メ-ルを削除した。

車を引き取り ディ-ラ-の隣のス-パ-で買い物をし
家に着くと 来ていた姉が帰ろうとしているところだった。
お互いに話したい大事な話があったので
ああ よかったと お客様が見えるまでの時間 姉と話した。
なんと話は「苦痛を訴える人を目の前にした時 セラピストは何をするか」
ということにまで及んだ。

それは この記事の前半に書いた内容だけれど
わたしも姉も 一緒に受け取れたと思う。
メ-ルを止められたのは このためだったかもしれないと思った。

その後 予約時間にお客様が見えた。
体全体しんどいと訴える幻想を見せてくださったことに心の中で感謝し
施術をさせていただいた。

と 昨日はこんなふうになったわけだが
余計な必要のないことはしないで 聖霊に耳を傾け
自分を護らないで信頼した結果を見届けることは
自分の計画を進めるよりも 満足感があって幸せを感じるみたい
ということがわかった。

でも これを習慣までにするには
一日ぼうっとは していられないのね・・・

それでも 今 必要なことなのだから
根気よく続けるのだ(^o^)



美和子

 

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11:18 | Comment(0) | Trackback(-) | EDIT

【夢日記】 川に入って流される

2016.05.02(Mon)






2016年 4月某日の夢




夢の中ではなじみのある住宅街 を通り抜け
川に行きあたる。



201107141221000.jpg



向こう岸に渡るつもり。
川には大きな橋が架かっている。
わたしは 川に入って渡った方がおもしろいと思い
川の水に足を入れ 歩く。


水遊び


浅いと思っていたのに だんだんに水が深くなる。
怖い。
みるみるうちに足が底につかなくなり
浮いたまま手足を動かして泳ぐ。

体は流されていき 向こう岸に着いた時には
渡り始めから電車の駅を2つ分ぐらい離れた場所になっている。




※写真はイメ-ジです。




川の手前は慣れ親しんだ世界。
向こう岸は 未知の世界。

どんなところかは わからないけれど
想像を越えた体験をするところ。
行くのは怖いけれど 心の底から望んでいるところ。 

川にかかる大きな橋は
叩いて確かめなくても壊れることはない
しっかりとした幅の広い橋。
ここを歩けば まっすぐ向こう岸に着く。

わたしにとって この橋は
聖霊と渡る 奇跡のコ-スの橋 かな?

ところが わたしは迷わず川に入って行った。
素足でパチャパチャと
水の心地よさを感じたくて。

この川では足が立たなくなって
結局ずいぶん流されてしまったのだけれど
「深かったらどうしよう」という恐れの心が
川を深くしたようにも感じる。

川の中の自分に
「わたしは今 こんな感じ」
というものが表れていると思う。
橋は 横目で見て スル―(笑)



橋を歩いて渡るべきなのかどうか。
川に対して垂直方向に渡ろうとするのは愚かなのか。
向こう岸の 2駅分離れたところに着いたのは
先に進んだと喜ぶべきなのか。
無駄なことだったのか。

それを判断しても 意味はない と思う。

楽にでも 流れに乗ってでも逆らってでも
好きなように 行けばいいのだと思う。
夢だから。

最終的に行く(戻る)ところは同じ。
でも  「コ-ス」的には
何するにしても 聖霊と(神と)共にいるのが正解で
聖霊のイチオシは 「いっしょに橋を渡ること」なんだろうね。

夢の中のわたしは 
心地よくも楽しくもなく 怖がり続けていたから
もうちょっと 川遊びを楽しんで渡りたかったよ。
聖霊と一緒だったら つまんなそうな橋の上でも
もっとおもしろい目に会えたのだろうな。






美和子


プロフィール

美和子(Miwako)

Author:美和子(Miwako)
美和子です。奇跡のコース学習者として 記録したいことを綴ります。

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