【テキスト】真のEmpathyって[16章より]

2010.08.27(Fri)



きのうからね、「16」という数字が何度か浮かぶんですよ。
それと「ACIMのテキスト読みたい♪」
という思いと。

それで、今日は「そういや、テキストの16章って
なんだったっけーー?と見てみると

タイトルは”THE FORGIVENESS OF ILLUSIONS ”

(「錯覚」を赦すこと)で
はじめの方は、ほんとうの empathy(共感、感情移入)
について書いてありました。

以下、いつも同様、わたしの理解したものを書いたので
解釈間違いがあるかもしれません。



「真の共感・感情移入というのは
聖霊または神の力強さと共感することで
人の苦しみ、痛みと共感することではない」
というように、結構容赦ない感じで(と、わたしの自我が受け取った^^;)
書かれています。

一般に、人の話を聞くことは
無条件の愛の表現のひとつ、などとも考えられていて
話を聞くときには
相手の気持ちに共感することがたいせつ
と言われています。

話すほうの立場であるときには、
聞き手に、話している出来事の内容と共に
気持ちを汲み取ってもらえたと感じると
スッキリするし、聞き手への信頼感も増します。

そして、混乱した思いが整理されていき
自分の知恵を働かせることができるようになったりします。

・・・なんですが。

この場合の「気持ち」ってのは
自分の本質ではない、自我の感情です。

このときの「共感」っていうのは
話し手の自我の感情に、聞き手の自我が同調するって
ことなんだと思います。

お互いの自我同士でつながって共感しているわけですね。

自我は、最初に神から離れて分離したという夢を見ているので
いつも「何か欠けている」と感じていて何かと一体感を持ちたいのです。

それで、人と人の自我同士の共感で結びつき
力を強めようとするそうです。


で、人の話をじっくり聞く必要がある場面、っていうのは
話し手が、苦しい、辛い、と感じたことを
聞く場合が多いですよね。

なので、双方の苦しみ同士が響きあい
その、錯覚である苦しみを、さらにリアルにするという
結果になることも考えられます。

そうなると聞き手の方まで辛くなってしまうことでしょう。

でも、相手の苦しみと自分の持つ苦しみとの一体感も感じるので
その心地よさも、あったりするでしょう。


たとえ、気持ちを汲み取ってもらって
話し手のほうがスッキリして力強くなったように感じられるとしても、
その人が「わたしは間違っていない」と感じたとしたら
過去の苦しい状況や人を責める怒りが
増しただけのことになるかもしれません。

この場合、聞き手が 聖霊(本質)と共感しながら

「この人の(愛であり永遠であり何も欠けていないし護られている)本質は、
 今、ここで苦しみを訴えている自我ではない、
 本質では、何も傷ついていない」

と心得て聞いていると

今起こっているように見えることと、苦しみを
リアルに強めることにはならない、ということになるかと思います。


たぶん、わたしがまだ
こういう聞き方ができないので
「16章読んだら?」のメッセージが来たのだと思いますが^^;

セッションではなく、日常で人の話を聞くときは
「どうせ、コレ、この人の自我の寝言なんだから~」
とテキトーに流して聞いているときが多いです。

やっぱり、「本質では大丈夫なんだから、何も欠けてないんだから」との
思いを送りながら聞いたほうがいいな

と、思いましたとさ。




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Category: ■テキスト

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