【夢日記】 川に入って流される

2016.05.02(Mon)






2016年 4月某日の夢




夢の中ではなじみのある住宅街 を通り抜け
川に行きあたる。



201107141221000.jpg



向こう岸に渡るつもり。
川には大きな橋が架かっている。
わたしは 川に入って渡った方がおもしろいと思い
川の水に足を入れ 歩く。


水遊び


浅いと思っていたのに だんだんに水が深くなる。
怖い。
みるみるうちに足が底につかなくなり
浮いたまま手足を動かして泳ぐ。

体は流されていき 向こう岸に着いた時には
渡り始めから電車の駅を2つ分ぐらい離れた場所になっている。




※写真はイメ-ジです。




川の手前は慣れ親しんだ世界。
向こう岸は 未知の世界。

どんなところかは わからないけれど
想像を越えた体験をするところ。
行くのは怖いけれど 心の底から望んでいるところ。 

川にかかる大きな橋は
叩いて確かめなくても壊れることはない
しっかりとした幅の広い橋。
ここを歩けば まっすぐ向こう岸に着く。

わたしにとって この橋は
聖霊と渡る 奇跡のコ-スの橋 かな?

ところが わたしは迷わず川に入って行った。
素足でパチャパチャと
水の心地よさを感じたくて。

この川では足が立たなくなって
結局ずいぶん流されてしまったのだけれど
「深かったらどうしよう」という恐れの心が
川を深くしたようにも感じる。

川の中の自分に
「わたしは今 こんな感じ」
というものが表れていると思う。
橋は 横目で見て スル―(笑)



橋を歩いて渡るべきなのかどうか。
川に対して垂直方向に渡ろうとするのは愚かなのか。
向こう岸の 2駅分離れたところに着いたのは
先に進んだと喜ぶべきなのか。
無駄なことだったのか。

それを判断しても 意味はない と思う。

楽にでも 流れに乗ってでも逆らってでも
好きなように 行けばいいのだと思う。
夢だから。

最終的に行く(戻る)ところは同じ。
でも  「コ-ス」的には
何するにしても 聖霊と(神と)共にいるのが正解で
聖霊のイチオシは 「いっしょに橋を渡ること」なんだろうね。

夢の中のわたしは 
心地よくも楽しくもなく 怖がり続けていたから
もうちょっと 川遊びを楽しんで渡りたかったよ。
聖霊と一緒だったら つまんなそうな橋の上でも
もっとおもしろい目に会えたのだろうな。






美和子


【シェアリング】 たからもの

2016.04.29(Fri)


先日 仕事で 
ある料理人の方のお体を
わたしの手で ほぐしていた

体に痛みを抱えつつも
長年 おいしい料理を
たくさんの人につくってこられた
腕と手

触れながら

「わたしたちのために ありがとうございます」
という思いが起こり
胸が震えた

宝物だ

宝物のように
だいじに触れなくては

と思った




私が初めて整体というものを受けたとき
体の隅々まで ていねいにほぐしてもらい
自分が大切なモノになったように感じたなぁ
と思い出した。

その後 自分も施術者になることを志し
干支ひとめぐりほどの年数が経つ。

その間に 奇跡のコ-スを学び始め
わたしたちは肉体ではない とか
神の子 とか
教わった。

神の子と言われてもね
なんだかピンときていなかったけれど
好きな人も 苦手な人も 知らない人も
わたしたちはみな等しく 「宝物」 
と思ってみることなら できるかもしれない。


仕事中の誘惑は いつでもあって
幻想である病気や症状を リアルなものとして扱い 
それを治そうとしてしまうことが しばしばある。

そんなコトのないようにとは心がけていても
「この体をなんとかしよう」 と思ってしまうと
その人の心は置いてきぼりで
体を 物として修復しようとしてしまう。

それらの間違いに気づいて その度に
聖霊に訂正してもらうことも 
わたしの機能(はたらき)ではあるけれど

わたしの身体で五感を使って
「あなたもわたしも宝物ですね」と
伝えられるような技術なら もっと磨きたい
と思う。



宝物 という言葉やイメ-ジには
特別なモノ 高級なモノのような
特別感や価値判断がついていると思うし
「護るべきもの」と見るのも違うし
そういうのではなく
もうちょとニュ-トラルなふうに使いたいんだけれど。

宝物のはずの人や自分が
宝物に思えない時や
ある宝物を好きになり過ぎちゃっている時には
幻想を見ている
とか。

そういうふうに思ってみると
間違いに気づきやすいかな?



美和子

Category: ■シェアリング

18:03 | Comment(0) | Trackback(-) | EDIT

【夢日記】 祭りの舞 その後

2016.04.23(Sat)



前回の 【祭りの舞をリ-ドする】の夢のワ-クをした後に
「舞うままに身を任せる」ってどんな感じかな~と試した。

下は 夢日記ノ-トに描いたもの
201604240735000.jpg


もう ン十年前 高校の体育で グル-プで創作ダンスつくったなぁなどと思いだし
夢でしていた 顔の前に手をかざす動作から始めて
続きはこんなふうかな?と 姿見の前で身体を動かしてみた。

胴体をひねりながら腕も動いて
空間をぐるりとかき回すような 風を起こすような動きになった。
え- 全然ダンスなんて踊れないのにね 
動いてみたら ちゃんと続きがあるんだね。
うわ おもしろいかもコレ。

東方神起の 『WHY?(Keep Your Head Down)』のMVの冒頭のダンスを
スロ-モ-ションでやった感じが イメ-ジ的に近い。
(もちろんワタシのは 彼らにはほど遠いシロモノですが)

※ご参考に WHY?韓国Ver.のTVCF見てね(49秒)




『WHY?』のパフォ-マンスに見えるのは
誇り高く「俺が王者だ 文句あるか?」と
にらんだものを ひれ伏させる姿。

夢の舞のイメ-ジは
ここまで己の力を見せつける感じではない。
しかし 神の意志を体現する者としての自覚と誇りは
しっかり胸に置いて舞うのだ。
何かに操られるように「踊らされる」のではない。

夢の中の「私」は 
いきなり お前が音頭をとれという話になっていて 動揺する。
今までは 外側で起こること まわりの人たちがすることに
合わせて動いてきたので
自己評価が低く自信がなく
リ-ダ-シップをとって舞うには全くの準備不足 と感じている。

だが 実は 自分もメンバ-も観衆も 神の一部であり繋がっている。
だから そのことをを信頼し
潜在する力をそのまま使えばいいだけ なのだろう。

自分の思いが映ったものを見ている この世界という夢を
見続けるかどうか決められるのは 自分だけである。
神でさえ それを決める自由は奪わない。

夢の中の「私」のように 自分の世界の長である自分を 
力がなく取るに足らないものと 思い違いを続けていれば
そのような夢を見続けるだろう。
でも それが夢だと気づいて認めると
見続けるのをやめることができる。


眠って見る夢からは 警告やメッセ-ジを感じることもできるけれど
見た夢について 何もリアクションしたり感じたり考察したりしなければ
記憶から消え また次の夢に 伝言が託されるようだ。
この夢は 少し前に見た別の夢に関して
違う形でイメ-ジを見せてくれたように思っている。

次回の夢日記の記事は
その 別の夢・・・『川に流される夢』について書く。



美和子

【夢日記】 祭りの舞をリ-ドする

2016.04.21(Thu)


2016.4.20

静寂の中 さらしを巻いたような格好で
これから祭りの舞を始めるところ。

数人で円陣を組んでいる。
もうひとつ円陣があり 
そこに友人の男性がいる。
わたしと彼の二人が リ-ダ-である。

わたしは日頃 舞いもダンスもしないし練習もしていない。
それなのに わたしの合図でスタ-トすることになっている。

しかたなく 両手を顔の前にかざし 舞い始める。
それに合わせて リ-ダ-の彼も仲間も動き始める。
「こんな 間に合わせの舞でいいのかなぁ」と
身が縮む思いでいる。



友人の男性と私は 学生時代の活動で
それぞれ男子・女子のリ-ダ-を務めていた。
(わたしは 同学年の女子が他に居なくてしかたなく(^_^;)
自分の美意識をたいせつにし 体を鍛えることにも余念がない
彼のフォ-ムはきれいで プレ-もかっこよく清々しいイメ-ジだった。
夢の中では 私も彼も見た目は 30代半ばぐらいである。

夢の中の彼の姿には わたしが魅せられている
韓国男性デュオ・東方神起の チョン・ユンホ(ユノ)も被っている。
メンバ-・スタッフへの心配りとカリスマでリ-ダ-シップをとる
ユノは「リ-ダ-」の鑑だと思っている。

自意識を保ちつつも神がかり的なダンスで
見るものを魅了してやまないダンサ-でもあるユノが
この舞を舞ったらどんなだろうと うっとり妄想してしまう。
ユノの話をしていると キリがないので 説明はこのくらいにする。

今日は 夢の登場人物になったつもりで 
その人物が語る言葉を 紙にペンで記述していくワ-クをする。
夢の登場人物は すべて 自分の一側面であるから
彼らが話すことは 自分の意識下から汲み上げた言葉でもある。




まずは 「自分」から。


- 私は今なぜ こんな場にいるんだろう。
日頃 ダンスも踊りもしていないし この舞のための練習もしていない。
ここにいるみんなは 私の出だしの合図を じっと待っている。
- 隣の円陣には 相棒のAがいる。
筋肉がひきしまり さらしを巻いた姿は いつもにも増しての男前。
さぞかしキレのいい 見とれるような舞をすることだろう。
- 練習をしていないから どうしたらいいかわからない。
とにかく なんとか格好をつけて 出だしだけやりすごそう。
あとは Aが舞を引っぱっていってくれるだろう。



次は 相棒のA。


-- 俺はこれから この祭りの要である舞を舞う。この日のために「鍛錬」を重ねてきた。
「鍛錬」といっても 舞の型の練習ではない。
日頃の肉体のトレ-ニングもあるが 
どう生きるか 何に魂を込めるか 日々それらの思いを地道に積み重ねること
それが俺の言う「鍛錬」である。
-- この舞は 10人ばかりで 2つの円陣を組んで行う。
もうひとつの円陣にいる俺の相棒が グル-プを導く。
あいつの合図で この舞が始まるのだが 
「舞の練習をしていない」と言って 出だしをためらっている。
-- あいつは勘違いしている。
形をどう見栄えよく踊るのかが大事なのではなく
積み重ねてきた日々で鍛錬してきた魂が 
身体を通してそのまま顕われてくるのが この舞なのだ。
-- 俺は あいつが いつもまっすぐに 時にしなやかに ゆるやかに
生きてきたことを知っている。
顕われる舞は きっと あいつらしく美しいものに違いない。
今日 俺が あいつに見合う舞ができるかどうかわからない。
でも あいつに引っぱられて 俺と仲間が響き合って形作る舞は
きっと すばらしいものになると信じている。




次は 「自分」の円陣のメンバ-の言葉。


--- オレの円陣には 女性のリ-ダ-Mさんがいる。
Mさんの合図で舞が始まる。
オレは 20歳を過ぎたばかりで 舞も人生経験も未熟だ。
この祭りの舞にも 初めて参加している。
男性リ-ダ-のAさんは 頼もしくて見た目も男前で 惚れ惚れする。
オレもいつか あんな風になりたい。
--- MさんとAさんは 同い年らしい。
オレは Mさんのことはよく知らないけれど
人生経験豊富で 頼れる姐さん的な印象がある。
Aさんも Mさんを信頼しているのがよくわかる。
--- 今 オレの心臓はバクバクしているけれど 
どんな舞が顕われてくるのか愉しみだ。




ここでまた 「自分」に戻る。



- 相棒のAが こう言った。
「おまえは勘違いしている。型の練習など二の次だ。
日々 魂に刻み込まれてきたものが舞に顕われるのであって
おまえから顕われてくるものは 絶対に美しいはず。
だから 何も考えずに 舞うままに身を任せろ」
わたしは自分自身のことは信じられないけれど
Aのその言葉は信じられる。
- それから 20歳のあの子の目には 
私もAも すごく年上で人生経験豊富で たのもしい姿に映っているのね。
その自覚は持っていよう。
- 自分だけの力で舞うわけではない。
Aも仲間たちも神も 共にある。
どうなるかはわからないけれど はじめてみよう。





時々 いつも「自分」と思っている意識を手放し
この ちょっとはずかしい妄想ワ-クをしてみているが
混沌としていてあいまいな夢のイメ-ジから
紙に手で文字を書くことによって 
意識に上ってくる思いや アイデアが拾えて とてもおもしろく
夢のイメ-ジに浸るうちに 力が湧いてくる。


美和子

プロフィール

美和子(Miwako)

Author:美和子(Miwako)
美和子です。奇跡のコース学習者として 記録したいことを綴ります。

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